レビ記16章 パート1

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※この礼拝説教のまとめは、2021年2月27日にサンライズミニストリー今帰仁教会で、花城健長老によって説教された内容のまとめです。説教動画をご覧になりたい方は、こちらでご覧ください。

<1,なぜレビ記16章を学ぶべきか?>

●要点

  • 再臨運動はダニエル8:14の聖句から始まった。
  • 聖所は、地上にもあったが、実体は天にある。
  • 天の聖所が真で、地上の聖所はその陰であった。
  • 「聖所が清められる」とは、天の聖所が清められることである。
  • 聖所の清めについて、レビ記16章に書かれている
  • ゆえに、ダニエル8:14を理解するために、レビ記16章を学ばなければならない。

●ダニエル8:14の聖句から、1844再臨運動がおこった。

「彼は言った、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する。」

ダニエル8:14

●1844と聖所問題

「聖書の中で、他のどの聖句よりも、再臨信仰の基礎であり、中心的な柱であったものは、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」という宣言であった(ダニエル書八ノ一四)。・・・当時再臨信徒たちは、キリスト教界の他の人々と同様に、地上、あるいはその一部が、聖所であると思っていた。そして聖所の清めとは、最後の大いなる日の火によって地が清められることであり、これはキリストの再臨の時に起こると、彼らは理解していた。そこで、一八四四年にキリストが地上に帰られると結論したのであった。」

大争闘下巻119、120

「彼らは、自分たちの預言研究の解釈の原則は正しかったことを信じ、すでに得た真理を堅く保って、同じ聖書研究を続けることが自分たちの義務であると信じた。熱心な祈りをもって、彼らは自分たちの立場を再検討し、誤りを発見するために聖書を研究した。彼らは、預言の期間の計算に誤りを見つけることができなかったので、聖所の問題をもっと綿密に吟味するようになった。研究の結果、彼らは、地上が聖所であるという一般の見解を支持する証拠が、聖書にないことを知った。しかし、聖書には、聖所とその本質、場所、奉仕などの問題が十分に説明されているのを彼らは見いだした。」

大争闘下巻121、122

ポイント!

  • 新約聖書にも聖所の事が記されている。新旧訳聖書の中に聖所の説明がたくさん残っているということは、聖所の問題が重要なことであるという証拠である。

「ヘブル人がカナンに定住してから、幕屋はソロモンの神殿に代わり、規模は大きく、建築も永久的なものとなったけれども、同様の比率で造られ、同じような器具が備えつけられていた。こうして、聖所は、ダニエルの時代に荒廃に帰した時を別として、紀元七〇年にエルサレムがローマに滅ぼされるまで存在していた。

これが地上に存在した唯一の聖所で、聖書が記録しているものである。パウロはこれを、初めの契約の聖所と言った。しかし、新しい契約に、聖所はないのであろうか。

真理の探究者たちは、再びヘブル人への手紙にもどって、第二の、すなわち新しい契約の聖所の存在が、すでに引用した「初めの契約にも、礼拝についてのさまざまな規定と、地上の聖所とがあった」(注釈:へブル9:1 [also:KJV])というパウロの言葉に暗示されていることを発見した。そして、「も」という言葉が用いられていることは、パウロが前にこの聖所について述べたということを暗示している。彼らは、その前の章にもどって、次のところを読んだ。「以上述べたことの要点は、このような大祭司がわたしたちのためにおられ、天にあって大能者の御座の右に座し、人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということである」(ヘブル八ノ一、二)。」

大争闘下巻124,125

ポイント!

  • 天の聖所が真の幕屋で、地上の聖所はその陰である。

「ここに、新しい契約の聖所が明らかにされている。初めの契約の聖所は、人によって張られ、モーセによって建てられたが、これは、人間によらず主によって張られている。初めの聖所では、地上の祭司たちが務めを行なったが、こちらの聖所では、われわれの大祭司、キリストが、神の右で仕えておられる。一方の聖所は地上にあったが、もう一方は天にあるのである。」

大争闘下巻125

●天の聖所は本体、地上の聖所はその模型

「天の聖所の聖所と至聖所は、地上の聖所の二つの部屋によって表わされている(注釈:天の聖所に外庭は含まれない)。使徒ヨハネは、幻のなかで、天にある神の宮を見ることを許されたとき、「七つのともし火が、御座の前で燃えてい」るのを見た(黙示録四ノ五)。彼は、一人の天使が、「金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった」のを見た(黙示録八ノ三)。ここで、預言者は、天の聖所の第一の部屋を見ることを許された。そして、そこに、地上の聖所の金の燭台と香壇によって表わされていたところの、「七つのともし火」と「金の祭壇」を見た。再び、「天にある神の聖所が開けて」(黙示録一一ノ一九)、彼は、奥の幕の中の、至聖所を見た。彼はここで、「契約の箱」を見た。それは、神の律法を入れるためにモーセが作った聖なる箱によって表わされていたものであった。」

大争闘下巻127

●なぜ旧約時代の聖所の問題を現代のわれわれが学ぶ必要があるのか?

「救い主の仲保の恵みにあずかりたいと思うものは、神を畏れつつ聖潔を完成していくというその義務を、何ものにも妨げられてはならない。」

大争闘下巻221

「聖所と調査審判の問題は、神の民によってはっきりと理解されねばならない。すべての者は、自分たちの大いなる大祭司キリストの立場と働きについて、自分で知っている必要がある。そうしなければ、この時代にあって必要な信仰を働かせることも、神が彼らのために計画しておられる立場を占めることもできなくなる。」

大争闘下巻222

ポイント!

我々ははっきりと聖所について、レビ記16章について理解しなくてはならない。

「天の聖所は、人類のためのキリストのお働きの中心そのものである。それは、地上に生存するすべての者に関係している。それは、贖罪の計画を明らかにし、われわれをまさに時の終わりへと至らせて、義と罪との戦いの最後の勝利を示してくれる。すべての者が、これらの問題を徹底的に研究し、彼らのうちにある望みについて説明を求める人に答えることができるようにすることは、何よりも重要なことである。」

大争闘下巻222

ポイント!

・第三天使は、天の至聖所を指さして我々の注目を向けさせている。

・セブンスデーアドベンチストは、「十字架は完全な犠牲ではあるが、贖いは十字架で終わってはいない」と考えていた。そこで異端視された。

「天の聖所における、人類のためのキリストのとりなしは、キリストの十字架上の死と同様に、救いの計画にとって欠くことのできないものである。キリストは、ご自分の死によって開始された働きを、復活後、天において完成するために昇天されたのである。」

大争闘下巻222

「聖書の中で、他のどの聖句よりも、再臨信仰の基礎であり、中心的な柱であったものは、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」という宣言であった(ダニエル書八ノ一四)」

大争闘下巻119

ポイント!

・聖所は天にあるので、「聖所は清められる」とは天の聖所が清められるということである。

・年に一度聖所が清められる儀式は、「贖いの日」に執り行われた。この贖いの日についてはレビ記16章に詳しく書かれている。

●まとめ

レビ記16章を学ぶ理由は、聖所の清めについて詳しく説明されているからである。

<2,日毎の奉仕 レビ記4章>

●要点

  • 日毎の務め(犠牲)には、いくつかの種類がある。
  • 個人の為に行われた奉仕が最も重要であった。
  • 2種類の方法で個人のための罪祭が行われた。①血を聖所へ携える ②祭司が肉を食べて聖所へ入る
  • 血は、次の場所に塗られた。①第一の部屋の香壇の角 ②燔祭の祭壇の角 ③至聖所
  • いずれにせよ、罪は、悔い改めた者から聖所に移された。
  • 日毎の奉仕によって聖所は日々汚された。
  • 罪の血によって汚された場所は、①第一の部屋の香壇の角 ②燔祭の祭壇の角 ③至聖所
  • 聖所も清められる必要があった。
  • 「主の前」という語句は、至聖所だけでなく、聖所、外庭でも使われる場合がある。

●日毎の務め(犠牲)の種類

  1. 燔祭
  2. 罪祭
  3. けん祭
  4. 酬恩祭

1,燔祭

  • 燃やすという意味
  • 目的:礼拝、感謝、献納(下図を参照)
  • 行う時期:朝夕に行う。

2,罪祭:

  • 目的:神に対する罪の償い(下図参照)
  • 今回のトピックはこの、罪祭であり、特に、32~35を取り上げる

3,けん祭

  • 目的:たいてい人に対する罪の償い

4,酬恩祭

  • 目的:感謝、好意、兄弟愛を表す

●罪祭について(今回は、祭司、全会衆、司、一般の人)の儀式

  • 「祭司の罪」と「全会衆の罪」は、血を聖所にもっていった。
  • 「司たる者の罪」と「一般の人の罪」は、血は燔祭の祭壇の角に塗り、肉を祭司が食べなければならなかった。

「日ごとの務めのうちで最も重要な部分は、個人個人のために行なわれた務めであった。悔い改めた罪人は供え物を幕屋の戸口にたずさえ、このいけにえに手を置いて罪を告白し、こうして象徴的にその罪を彼自身から無垢の犠牲の上に移し変えた。それから動物は、彼の手で殺された。祭司は、血を聖所に運んで、この罪人の犯した律法を入れた箱の前方にたれているとばりの前に注いだ。この儀式によって、罪は血によって象徴的に聖所に移された。」

人類のあけぼの上巻418

ポイント!

・個人個人の為に行われた勤めが最重要だった。

「血が聖所の中にたずさえられない場合もあった。そのときには、モーセがアロンの子らに命じて、「これは・・・・あなたがたが会衆の罪を負(う)・・・・ため、あなたがたに賜わった物である」(レビ記一〇ノ一七)と言ったように、祭司がその肉を食べなければならなかった。これらの儀式は、共に、悔い改めた者から聖所へと罪が移されることを象徴したものであった。

こうしたつとめが、一年を通じて毎日行なわれていた。このようにイスラエルの罪が聖所に移されたので聖所は汚れ、そのため、罪を取り除く特別のつとめが必要となった。神は、祭壇と同様に二つの聖所の部屋についてもあがないをなし、「イスラエルの人々の汚れを除いてこれを清くし、聖別しなければならない」とお命じになった(同・一六ノ一九)。」

人類のあけぼの情報419

ポイント!

  • ・どのような立場の人物であったとしても、罪びとから罪が聖所に移されたことには変わりがなかった。
  • ・日毎の奉仕で「聖所が汚れ」たと書いてある。だから「特別のつとめ」あるいは、「特別の清め」が「必要となった」。
  • ・毎日贖いは行われていたが、しかしなお、聖所を清める贖いが必要だった。これを「特別の贖い」とか「最後の贖い」とか「最終的な清め」などの言い方をする。
  • ・祭壇と同様に、二つの聖所の部屋の贖いをしなくてはならなかった。
  • ・外庭の祭壇、幕屋の中の二つの部屋(聖所・至聖所)の3つのものが特別の勤めが必要になって清められなければならない。とはっきり書いてある。
  • ・「祭壇」を「香壇(第一の部屋の香の祭壇)」と考える人がいるが、そうではなく、日毎の奉仕で汚されていた「外庭の祭壇」と「第一の部屋の香の祭壇」と「至聖所」が清められなければならなかった。
  • まとめ
  • ・「司たるものの罪」と「一般の人の罪」は「外庭の祭壇」の角に血が塗られた。そして、祭司がその肉を食べた。それは、祭司が「罪を負った」という象徴になって、そして彼が第一の部屋に入ることによって罪が聖所に移された。
  • ・祭司の罪も全会衆の罪も司たるものの罪も一般の人の罪も天の聖所に打つさえたということが日毎の奉仕であらわされていた。

●聖書での確認

「日毎の罪祭の地は、悔い改めた罪びとの罪を幕屋に移し、幕屋を汚す」

  1. 祭司の罪(レビ4:3-12;[レビ6:30])直接第一の部屋に運ばれた血の為の処理
  2. 全会衆の罪(レビ4:13-21;[レビ6:30])直接第一の部屋に運ばれた血の為の処理
  3. 司たる者の罪(レビ4:22-26;[レビ6:26])一旦外庭の祭壇の角に塗られて、祭司が肉を食べることによって第一の部屋に移動した。
  4. 一般人の罪(レビ4:27‐35;民数15:27,28;[6:26])一旦外庭の祭壇の角に塗られて、祭司が肉を食べることによって第一の部屋に移動した。

1,祭司の罪(レビ4:3-12;[レビ6:30])(直接、第一の部屋に運ばれた血の為の処理)犠牲は子牛

「²イスラエルの人々に言いなさい、『もし人があやまって罪を犯し、主のいましめにそむいて、してはならないことの一つをした時は次のようにしなければならない。 3 すなわち、油注がれた祭司が罪を犯して、とがを民に及ぼすならば、彼はその犯した罪のために雄の全き子牛を罪祭として主にささげなければならない。 4 その子牛を会見の幕屋の入口に連れてきて主の前(注釈:これは外庭の事である。)に至り、その子牛の頭に手を置き、その子牛を主の前で、ほふらなければならない。 5 油注がれた祭司は、その子牛の血を取って、それを会見の幕屋に携え入り、 6 そして祭司は指をその血に浸して、聖所の垂幕の前で主の前(注釈:第一の部屋)にその血を七たび注がなければならない。 7 祭司はまたその血を取り、主の前(注釈:第一の部屋)で会見の幕屋の中にある香ばしい薫香の祭壇(注釈:香壇を「主の前の祭壇」ということがある。)の角に、それを塗らなければならない。その子牛の血の残りはことごとく会見の幕屋の入口にある燔祭の祭壇のもとに注がなければならない。 8 またその罪祭の子牛から、すべての脂肪を取らなければならない。すなわち内臓をおおう脂肪と内臓の上のすべての脂肪、 9 二つの腎臓とその上の腰のあたりにある脂肪、ならびに腎臓と共に取られる肝臓の上の小葉である。 10 これを取るには酬恩祭の犠牲の雄牛から取るのと同じようにしなければならない。そして祭司はそれを燔祭の祭壇の上で焼かなければならない。 11 その子牛の皮とそのすべての肉、およびその頭と足と内臓と汚物など、 12 すべてその子牛の残りは、これを宿営の外の、清い場所なる灰捨場に携え出し、火をもってこれをたきぎの上で焼き捨てなければならない。すなわちこれは灰捨場で焼き捨てらるべきである。』

[レビ6:30]

「しかし、その血を会見の幕屋に携えていって、聖所であがないに用いた罪祭は食べてはならない。これは火で焼き捨てなければならない。」

2,全会衆の罪(レビ4:13-21;[レビ6:30])直接第一の部屋に運ばれた血の為の処理 犠牲は子牛

「13 もしイスラエルの全会衆があやまちを犯し、そのことが会衆の目に隠れていても、主のいましめにそむいて、してはならないことの一つをなして、とがを得たならば、 14 その犯した罪が現れた時、会衆は雄の子牛を罪祭としてささげなければならない。すなわちそれを会見の幕屋の前に連れてきて、 15 会衆の長老たちは、主の前でその子牛の頭に手を置き、その子牛を主の前で、ほふらなければならない。 16 そして、油注がれた祭司は、その子牛の血を会見の幕屋に携え入り、17 祭司は指をその血に浸し、垂幕の前で主の前に七たび注がなければならない。 18 またその血を取って、会見の幕屋の中の主の前にある祭壇(注釈:第一の部屋の香壇)の角に、それを塗らなければならない。その血の残りはことごとく会見の幕屋の入口にある燔祭の祭壇のもとに注がなければならない。 19 またそのすべての脂肪を取って祭壇の上で焼かなければならない。 20 すなわち祭司は罪祭の雄牛にしたように、この雄牛にも、しなければならない。こうして、祭司が彼らのためにあがないをするならば、彼らはゆるされるであろう。 21 そして、彼はその雄牛を宿営の外に携え出し、はじめの雄牛を焼き捨てたように、これを焼き捨てなければならない。これは会衆の罪祭である。」

[レビ6:30]

「しかし、その血を会見の幕屋に携えていって、聖所であがないに用いた罪祭は食べてはならない。これは火で焼き捨てなければならない。」

3,司たる者の罪(レビ4:22-26;[レビ6:26])

一旦外庭の祭壇の角に塗られて、祭司が肉を食べることによって第一の部屋に移動した。犠牲は雄ヤギ

「22 またつかさたる者が罪を犯し、あやまって、その神、主のいましめにそむき、してはならないことの一つをして、とがを得、 23 もしその犯した罪を知るようになったときは、供え物として雄やぎの全きものを連れてきて、 24 そのやぎの頭に手を置き、燔祭をほふる場所で、主の前(注釈:外庭)にこれをほふらなければならない。これは罪祭である。 25 祭司は指でその罪祭の血を取り、燔祭の祭壇の角にそれを塗り、残りの血は燔祭の祭壇(注釈:外庭)のもとに注がなければならない。 26 また、そのすべての脂肪は、酬恩祭の犠牲の脂肪と同じように、祭壇の上で焼かなければならない。こうして、祭司が彼のためにその罪のあがないをするならば、彼はゆるされるであろう。

[レビ6:26]

「26 罪のためにこれをささげる祭司が、これを食べなければならない。すなわち会見の幕屋の庭の聖なる所で、これを食べなければならない。」

4,一般人の罪(レビ4:27‐35;民数15:27,28;[6:26])

一旦外庭の祭壇の角に塗られて、祭司が肉を食べることによって第一の部屋に移動した。犠牲は雌ヤギ、または、雌の子羊

「27 また一般の人がもしあやまって罪を犯し、主のいましめにそむいて、してはならないことの一つをして、とがを得、 28 その犯した罪を知るようになったときは、その犯した罪のために供え物として雌やぎの全きものを連れてきて、 29 その罪祭の頭に手を置き、燔祭をほふる場所で、その罪祭をほふらなければならない。 30 そして祭司は指でその血を取り、燔祭の祭壇の角にこれを塗り、残りの血をことごとく祭壇のもとに注がなければならない。 31 またそのすべての脂肪は酬恩祭の犠牲から脂肪を取るのと同じように取り、これを祭壇の上で焼いて主にささげる香ばしいかおりとしなければならない。こうして祭司が彼のためにあがないをするならば、彼はゆるされるであろう。 32 もし小羊を罪祭のために供え物として連れてくるならば、雌の全きものを連れてこなければならない。 33 その罪祭の頭に手を置き、燔祭をほふる場所で、これをほふり、罪祭としなければならない。 34 そして祭司は指でその罪祭の血を取り、燔祭の祭壇の角にそれを塗り、残りの血はことごとく祭壇のもとに注がなければならない。 35 またそのすべての脂肪は酬恩祭の犠牲から小羊の脂肪を取るのと同じように取り、祭司はこれを主にささげる火祭のように祭壇の上で焼かなければならない。こうして祭司が彼の犯した罪のためにあがないをするならば、彼はゆるされるであろう。」

[レビ6:26]

「26 罪のためにこれをささげる祭司が、これを食べなければならない。すなわち会見の幕屋の庭の聖なる所で、これを食べなければならない。」

へブル4:14-16

「14 さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。 15 この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。 16 だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」

御座があるところは、王国が存在するということ。恵みの王国が存在している。